満員電車テトリス問題「破」
エンスです。
前回の「序」では、満員電車でどのような心得が必要になるのかを解説しました。
それが
・自分の「幅」を理解する
・俯瞰してみる視点を持つ
の二点でしたね。
今回は満員電車とテトリスがイコールではない点を紹介します。
【満員電車では自分自身がブロックのひとつになっている!!】
これです。
支配する側ではなく、される側。
下民で愚民の一人です。
つまり、
他のブロックは自分じゃどうしようもない存在なのです!
勝手に動くし、勝手に自分のスペースを汚します。あなたのためにスペースを開けてくれる人なんか一人もいません。
あなたがそうであるように。
じゃあどうするのか?
環境を変えることはできません。自分が変わるしかないです。
なので、自分の可能な限りの形状を持って、隙間を探して入り込んでください。
その過程で荷物と一緒に行動しなくて良いです。
不思議なことに降車駅では手元にかえってくるので笑
僕自身も、何度も学生カバンを群衆に預けていました。
そしてその度に、圧縮された姿で帰ってきました。
このカバンの帰巣本能は未だ解明できません、、
なのでいっそのことカバンを手放しちゃってください笑
すると予想もしなかった幅が生まれます
それを繰り返すことで、民族大移動を支配することに繋がっていきます。
今日はここまでです。
ありがとうございました!!
満員電車テトリス問題「序」
こんにちは
エンスです
「空いてるドアからご乗車ください」
もう聞き慣れたこの構内アナウンス。
そしてこのアナウンスを聞くたびに「空いているドアなんかねぇよ」って毒づく。
その繰り返し。
高校一年生で電車通学デビューを果たしてから、この満員電車には毎日のように付き合ってきました。
僕は身長が高いので、高みの見物、混雑無双してたのですが、大体の人はそこに小宇宙を見てたのではと思います。
そして長年満員電車に乗ってきて気づいたことがあります。
それが今回のテーマ、
「満員電車テトリス問題」です。
つまり、どういうことかと言うと、
満員電車の乗り方のノウハウはテトリスが源流にあるのではないか。
すなわちテトリスが上手い人は満員電車の乗り方も上手いのではないかということなんです。
満員電車において、乗り方の上手い下手は必ず存在します。
そして下手な人であればあるほど「みんな辛いんだから我慢しろ」という思考をしています。
アホか。
お前のせいでみんな辛いんじゃと。
そうこの満員電車テトリス問題において、一人の無能空間掌握は全員を不幸にします。これがテトリスと一番違うポイントと言っても過言ではないです。
満員電車=テトリス????
まず満員電車とテトリスがなぜ繋がるのか。
それはどちらも
枠の中に、モノを、短時間で詰めるゲーム
だからです。
なんとなくイメージしやすいかと思います。
長方形の車両の中に、サラリーマン、主婦、学生、カップル、高齢者など多種多様な姿形をした人間が、電車がプラットホームで待機している間に所狭しと自分の空間を求める様はテトリスに通ずるものがあります。
どれだけ人の邪魔になっているか気づいてる?
でも人間て、意外と自分の「幅」って分かってないんですよ。
体形の話をしているんじゃないです。
痩せている太っているよりもっと高次的な「幅」に対する認識です。
この視点は難しくて、自分が思っている「幅」と他人から見た「幅」は全然違います。
主観はほぼ全裸、すなわちアダム。女性の人だったらイヴ。
客観は着ている服、背負っているバッグ、持っているヘルメットケース、連れているチワワなどすべての所有物を含めた個体。今からラオシャンロン撃退しに行きますの「幅」。
これくらい違います。そして客観的「幅」をより支配することでこのテトリスの勝者になれます。
僕らはウイイレで育った
次に空間把握。
よくサッカーで使われる言葉で、元サッカー日本代表の遠藤保仁選手もこの視点を大事にしていたと言っていました。
神の視点
様々な言葉で形容されるこの視点は、満員電車においても心臓部となる視点です。
ただのゲーム画面なんですけどね。
でもこれをイメージできるかできないかでだいぶ違います。
でも多くの人この視点を蔑ろにしている。
すべての空いているスペースには理由があるんです。
「ココ」が空いているということは「ドコカ」が埋まっているんです。
突然スペースができるなんてことはありません。
神隠しでしか。
その動きを流動的に見れない人は、無理やり自分のオアシスを求めようとします。
論外。
満員電車を形成しているのがヒトなら、空間を作っているのもヒトなんです。
だから上からの視点を想像して、自分を埋め込めば自然と水は流れてくるんです。
まとめ
①自分の「装備品」すべてを加味した「幅」を理解する。
②車両を「神の視点」で空間把握する。
③この手順を間違えない。
以上で「序」は終わりです。満員電車攻略の糸口は見えてきたでしょうか。たぶんこれだけではまだ息ができるくらいだと思います。楽しみにしていてください。
はじめまして、エンスです
はじめまして こんにちは
エンスです。
ブログは初めてで、本当にまじに大マジに、右も左も上も下も分かりません。
でもやってみたいと思いました。
ブログを書くことで変われる自分がいるのか、もしかしたら何も変わらずに時間を浪費するだけなのか 、やることに価値があるって本当なのか。
それを確かめたくて書くのかもしれないです。
死ぬほど飽き性な僕がどこまで続けられるのわからないですが、やれるところまでやってみようと思います。
お前誰やねん
「いや、まずお前誰やねん・・・」
そうですよね、いきなりエンスと名乗られても誰かわからないですよね。
僕は都内の大学に通う大学4年生です。
「どこの大学通ってるの?」と聞かれて、答えたとき
多くの人が「ふぇー、そうかー」と興味を示さず、その半分くらいの人が「じゃあ、頭良いんだー」とインスタントな賛美を贈る私立大学です。
そこで僕は体育会の部活に全学生生活を捧げていました。サークルに入らず、合コンやクラブなどの学生らしい遊びをほとんどしませんでした。
部活が好きだから?就職に強いから?上のステージで挑戦したいから?
違います。
時間を埋めたかったからです。
これにはいろんな意味があります。文字通りにとってもらっても全然問題ないです。
この4年間、何度も何度も「なんでここまでしてやってるんだろう・・・」と思いました。
自分が抜け殻になることが分かっていた。だから続けている
「野球がなかったら抜け殻みたいな人生でした」
これなんです。
この就活中、僕は何度もこの言葉を面接官に向って吐き続けました。
その度に面接官は
「・・・なわけ(笑)」
みたいな顔をしてきました。
僕も自分で言ってて恥ずかしくなかった訳ではありません。
心の中では、「こいつ、やってんなー」と思ってました。
たぶん僕じゃない他の人がこれを言ってたら、間違いなく吹いてました。
でも本当にそうだから仕方ないんです。
小学生で野球を始めてから今まで、野球に助けられ過ぎました。
もし自分が野球をやってなかったらと考えるとゾッとします。
だから大学でも続けざるを得なかったんです。
だから大学生活をサークルやゼミ、合コンやクラブ通い、飲み会など酒池肉林を狂喜乱舞に謳歌している人たちが哀れだとか全くないです。
むしろ羨ましいです。僕にはその選択はできなかったので。
でも今4年生になって分かったことがあります。
それは野球を続けてきて正解だったということ。
これから抜け殻にならないために
でももう野球はおしまいです
この秋で。
正真正銘の抜け殻です。
怖すぎます。だからそうならないためにこのブログを書こうと思いました。
野球ほど熱中できるのか、野球ほど僕を成長させてくれるのか、
そして野球と同等、それ以上に僕を助けてくれるのか
これからゆっくりゆっくり抜け殻にならないために、このブログに向き合っていきたいと思っています。
どうかエンスを、
よろしくお願いします!!